Umbrella June 8, 2011 23 Comments If you’re in the northern hemisphere like me, you’re less than two weeks from summer. Took this photo of a rainbow umbrella at a local ice cream stand. (via Umbrella)
Umbrella June 8, 2011 23 Comments If you’re in the northern hemisphere like me, you’re less than two weeks from summer. Took this photo of a rainbow umbrella at a local ice cream stand. (via Umbrella)
よく「他人に宣言してしまえばもう守るしか選択肢がなくなります」だとか「自分との約束なので守らないと気持ち悪い」とか言うけど、
「別にそうでもないなー。ゆるく行こうぜ」
という反応をする人にはまったくもって効果がない。
意図して「ゆるい」反応を望んでいるならいいんだが、本人としては現状をなんとか改善したくて、でも本能的な反応が「がんがんいこうぜ」ではなく「ゆるくいこうぜ」であるキャラクターにとって、自分自身をシビアな環境に保つ事は容易ではない。
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)2011.03.16
学校からのお知らせ
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
228:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(dion軍):2011/03/15(火) 22:45:44.59 ID:NzUH1fL/0
1970年
マスゴミ「静岡には大地震がくる!!さあこの防災グッズを買いましょう!!」
静岡「ふええ」1980年
諸外国「静岡県は危険な土地だ 近寄ってはならない」
静岡「そ、そんなこと」
青森「ギャアアアアアアアアア!!!!!」
静岡「!」1990年
マスゴミ「静岡には大地震がくる!!さあこの防災グッズを買いましょう!!」
静岡「新開発された鉄筋をおすすめしていま
兵庫「ウワアアアアアアアアアアア!!!!」
静岡「 」ガクガク2000年
マスゴミ「静岡には大地震がくる!!さあこの防災グッズを買いましょう!!」
静岡「非常食を県民のみなさんにくばってきましt
新潟「ウウオアアアッー!!!!!」
静岡「ふぁ・・・」2011年
静岡「最近、私は共同の地下シェルターの計画をですn
NZ「アアアアアアアアアアアア!!!!!!」
静岡「ひええ」静岡「海岸沿いの勾配、町全体の排水機関を強化したんです。これで諸国のような轍は踏みませ
宮城「ホ、ホアアッー!!!!」
静岡「あっ」
いま、黙っている理由
3月11日の地震以来、胸にこみあげるものはいっぱいあります。でも、ツイッターでは、知人の安否を確かめるためにDMを利用するだけで、公ではあまり語らないでいます。その理由は2つ:
1)私などが言って役に立つことがない。
2)正直な気持ちを書くと、説教じみた言葉になってしまうから。とくにふたつめについて。
「日本の米軍は何もしてくれない」とか「原発のメルトダウンをなぜ最初から予測していなかったのか」とか「政府は何もせずに眺めているだけ」といったツイートを読むと、悲しくなるからです。というのは、TVや新聞が書かなくても、地震が起きた時点で、米国政府は日本政府に援助の申し入れをし、日本政府が要望する形ですでに動いていましたし、原発についても、最初の放射能漏れの時点から、メルトダウンを含めて惨事の可能性があることは専門家には分かっていて、それをくいとめるために必死に対応しているのは明らかなのですから(こちらの報道では、早い時点でその話をしていました)。ただ、それを公に発表しなかったのは、パニックを恐れてのことでしょう。断言してもいいですが、現場の人は命をかけてくいとめようとしています。
自衛隊だって、雀の涙のような予算なので、在日米軍の同じレベルの軍人に比べると本当に可哀想な待遇だと知人から聞いたことがあります。米国の軍人のように国民から普段「ヒーロー」扱いされることはありません。それなのに、惨事が起こると「もっと頑張ってくれないと困る」とあてにされ、責められます。
地下鉄サリン事件のときもそうだったのですが、表面に見えない多くのヒーローたちで日本は成り立っているのです。誰にも感謝されないのに、自分が危険な時にもコツコツと義務を果たし続ける人で。
だから、こんなに大規模な地震が起こっても、他の国のような二次災害(泥棒、暴力、ルーティング)などが起こらず、被害が最小限に食い止められるのです。
テレビに映っていない努力のほうが多いのです。
大人が、家庭やソーシャルメディアで「してくれない」と「あてにならない」と文句だけを言うことの被害は、それを聞いて育つ子どもたちが、感謝の気持ちなしに「やってもらうこと」だけを求めて育つことです。
そんな人ばかりになったら、この素晴らしく機能する日本がなくなってしまうでしょう。
だから私は、「してくれない」という意見ばかりを読むと悲しくなってしまうのです。
本当に「政府がダメ」と思っているのなら、あてにできる政治家を草の根の段階から自らの手で育てましょう。そして、少々の失敗で捨てたりせずに、徹底的に手伝いましょう。トップが変わり続けていたら、ろくな政治はできません。
自衛隊に頑張って欲しいのなら、日頃から尊敬の念を持って接しましょう。もっと待遇を良くしてあげましょう。
原発が不安であれば、それにとってかわる方法を真剣に検討するべきです。日本の電力は原発に強く頼っているのですから。
ひとつだけ確かなことは、いま文句を言うことで事態はよくならないということです。
なぜなら、これが終わったら、またみんな普通の生活に戻り、自分で率先して行動するなんて、考えないからです。そして、次の惨事が起きたら、また文句を言うことで満足してしまう。
****
遠く離れている人びとが「何かをしてあげたい」と物資を送りたくなる気持ちは分かります。
けれども、ぜひお願いしたいのは「物を送らないこと」。いろいろな提案はごもっともですが、あえて言います。
現場が必要に応じて柔軟に対応できる「お金」だけにしましょう。
今はまだ、被害の査定をし、何がどのように必要なのかを現場が分析しているところでしょう。そこにいろんな「物」が来てしまうと、かえって迷惑です。それを仕分けするための人も必要になりますし、運送にお金も手間もかかります。何よりも「使えないもの」「要らないもの」はゴミになります。役に立つよりも、迷惑になることのほうが多いのです。
私は災害のときに寄付する機関を決めています。(Doctors Without Borders、あるいはRed Cross)。残念なことですが、災害が起こるたびに、本当にちゃんと使ってくれているかどうか不明な団体が生まれます。それに騙されないようにしてください。
今回は、日本赤十字にするつもりなのですが、サーバーがダウンしていますので待っています。
世間のカップルはほとんどが妥協してるんじゃないか。 もしくは自分のことが好きだって言ってくれる人が好きなだけの 寂しがりやかナルシストなんじゃないかと思ってしまう。
出来ない理由を簡潔に述べよう。
・自分本位のコミュニケーションしかとれない。
・理想が高すぎる。
・自分から動こうとしない。
5つ星のうち 5.0 正しい成長物語, 2010/12/3
By くどくど - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス) (コミック)
ちょうど10巻でびしっと完結しました。それも描くべきことをしっかり描ききって。
10巻でここまでしっかりまとめた漫画は近年そうありません。寄生獣なんかがそいやちょうど10巻でしたねー。私はわりと年を食った漫画読みなので「いままでここまでの漫画を読んだことはない」とまでは言えません(若いときに読めばそう言うかも)。
けれど近年読んだストーリー漫画で最上の一群であるのは間違いないと思います。
水上先生のすばらしいところは、物語を大切にしているということ。
物語とはなにか? 作中の人物たちが作中世界でおのおのの人生を生ききるのを描く、ということです。
上質な物語と言うものを「プロットがよくできている」とか「作品世界に整合性がある」とか勘違いする人が多いんですが、
それは枝葉のことであり(重要だけど)、一番大事なことは作中の人物たちを描ききれたか、です。
惑星のさみだれに、捨てキャラなどというものはありません。これだけ登場人物がいて、各々がみんなそれぞれの人生を抱え、
それぞれの人生に決断をしたり、方向を得たり、得心したりしています。
すべてのキャラに決着をつける。「くどかったらご勘弁を」と言いつつ水上先生がここまでのエピローグを描いたのは
「人物を描ききることこそが物語である」ことを十分に知り尽くしていて、またそうではないとご本人も納得しないからでしょう。稀有な物語作家だなぁと思いました。
そして読者の私たちも、作中で実人生を生きているキャラたちに同化できるからこそ、毎巻必ず熱くなったり、ほとばしるように泣かされたりしたのです。この最終巻なんてほんと泣けてぼろぼろ。水上先生の稀有な資質と努力に感謝であります。あと一つ、正しい大人になりたい、という成長テーマを一貫して描ききったこともすばらしい。
作中でひねた根暗メガネだった夕日が経験を通して成長を遂げる。そして未来へいけないと絶望していたさみだれに手を差しのべる。さみの絶望のかたまりが形になったさみだれパンチが融解して千の流れ星になり、作品タイトルとなる。
夕日たちの成長は幼い茜太陽にも影響を与える。太陽はロキが消えるまで涙をみせないほど強く成長してるんですが、夕日と三日月の楽しそうな殴り合いを見て、「大人になれば楽しいこともあるんだ」と知ります。
少し大人の夕日たちが太陽に教え、夕日たちはそのまた大人の半月や南雲たちに教えられ、見守られて成長していったのです。
成長していくことは悪いことじゃない、うれしいことなんだ。というテーマをいまどきここまで愚直にまっすぐ描いた作品はあるでしょうか。
これは、傑作です。
大丈夫じゃないのに大丈夫って言うのやめなよ、ってよく言われるけど、大丈夫なふりをやめたら、もっと大丈夫じゃなくなりそうなんだよ……
小さなアウトプットを重ねて穴=自分が何がわかっていないかを可視化する
問題が穴埋め問題に変換できたところで最終的な解決を導き出す